仮置き場

趣味嗜好と思考の整理

ふ、と最近考えることがある。
ふ、と物悲しくなることがある。

何か悲しいことがあったわけでもなく、日々自分なりによく生きようとしているが、じわじわとした不安のような哀しみのようななんとも言えない孤独を感じる。
何のために生きているのか、といった漠然とした不安が生じる。

 

わたしの中で何かしらの変化があった故だと思うので、変化について少し書き連ねていくことで少しでも原因を追求したい。

 

仕事

仕事の内容が大幅に変わった。
ただそれはわたしにとって良い方向へと変わったと感じている。自分が得意とすることをさらに活かせる職場になったからだ。
変わって間もない為、まだ学ぶことも場を知ることも進行形ではある。ただ今までのことが無になったわけでもなく、活かせることも多々ある。
難易度が易しいわけでも難しすぎるわけでもなく、程よい課題を与えてもらっている。
なんならもう少しハードでも良い、と思うぐらいには丁寧に仕事を振り分けられている。
職場環境は良い方なのだろう。同じ職場の人ももちろん他人なので、色々と考え方に相違は出るが、総じて「良い人」ではあるのだろうと感じられるぐらいである。
ただそうとしか言えない、とも言える。
元々はっきりと物事を言えるタイプではないので、自分の心内で溜まっていくものがあるのは気が付いている。ただそれが新人であるわたしが今伝えるべきではない、と感じているため溜まっている部分はある。
そして何よりその考えは、他人への期待からきているものだとも理解している。だからこそわたしがより柔軟になっていきたい。

 

生活

新しい土地で一人暮らしという、かなり大きな環境の変化だ。一人暮らし自体は初めてではないが、妹と暮らしていた中からの離れた土地で一人暮らし、というものがそこそこ寂しさを与えていることには気が付いている。
おそらく今後わたしの人生で妹と暮らす、ということはもうないだろう。それは主に年齢によるものだが。
ただわたしの中で、それは一生忘れない数年間の一つであったのは間違いない。それほど楽しく、充実したものだと感じたから。
元々一人で大抵のことを楽しめる性格ではあるが、やはり人間一人では生きていけない、と実感したものでもあった。楽しいことも嬉しいことも悲しいことも気分が良くなかったことも全て共有していたのだと、一人になり改めて実感した。
妹であり、友達であり、親であり、子であり、心の支えであると。一生会えなくなるわけでもなく、なんなら引っ越して数ヶ月ではあるが既に数回遊んでいる。
ただそれほどの存在であるのだと、共に二人で暮らしたことでさらに存在が強固になってしまったのだろう。
そして仕事も慣れ、環境も落ち着いてきたことで今になってその寂しさが押し寄せてきたような気もする。

余談だが、子猫をお迎えした時も「最初は元気でも慣れてきた一週間後に体調を崩すことがある」とブリーダーさんに教えてもらった。人間同様、初めは緊張もあり、目新しいこともありいとなしだが、ふ、と息を抜いた時に隙が出やすいのだろう。

わたしのこの物悲しさはその隙なのかもしれない。

 

人生においていつかはお迎えしたい、と考えていた猫をお迎えした。悩みに悩んでお迎えしたが、そうして良かったと一ヶ月目にして思う。

まだまだ子猫でもあり、生態を観察しているだけで多くの発見があり飽きない。もちろん大変なこともあるが、笑わせてくれることも多くとても有難い存在だ。一人暮らしで楽しいことはあっても、声に出して笑うことがさらに増えたと思うとそれだけですごいのではないか。
いつかこの子のために生きる、と心から思うことがあるのかもしれない。
今はまだ、この子を生涯世話をしなければ、という生物の生死がわたしにかかっている、という領域で生きていかねば、という考えの方が大きい。
さらに愛着が湧き、愛情を与えることで心境が変わる楽しみがある。

 

健康

料理や運動習慣が変わった。元々料理は出来なかったし、お腹が膨れたらいい、というレベルであった。
ただ初めからご飯のサブスクに頼りたくなかったこと。妹と暮らしたことで今まで以上に冷凍食品の味が好きではなくなってしまったこと。そしてご飯が美味しいことの喜びや嬉しさを体感してしまったこと。それらにより、料理をする、という選択肢がかなり強くなった。
そこで物は試しと、簡単なものをYoutubeで見よう見まねで作ってみたところ美味しかった。昔は自分が作ったものが美味しい、と感じたことがなかったので料理は諦めたが、どうやら手本が良かったようだ。
そこからはもう成功体験を積みに積んでいき、ちょっと料理に楽しみを見出すぐらいには好きになってきた。やはり人間、成長するには成功体験は大事だ。
それでも面倒な気持ちがないわけではないので、時短や作り置きも覚えていくとさらに調子が良くなった。最近のYoutubeは本当にすごい。大感謝。

運動についても特に好きなわけではないが、ハードルを思いっきり下げると継続ができる。そして運動より、日頃の習慣を気に掛けた方がよっぽど体に出る。
結局全てはつながっており、継続がものを言うのだと実感している。

 

ということで、ここ数ヶ月で環境は大きく変わった。ただわたしのこの物悲しさはいわゆる環境や生活が整ってきたことで息をついたことによる隙なのだろう。
これはもう時間が解決してくれるように思うが、なんのために生きているのか、については解決はしないかもしれない。
そもそも生きていく上で意味が必要なのか、という問いが発生する。そしてこれについては現時点のわたしの一番の問題点ではないように思うので、今回は保留とする。

ただ、わたしはやはりこうやって心の内を定期的に吐き出していくことで、整理されるし感情を流すことが出来るのだろう。

今後もたまには気持ちの赴くままに書き連ねてみよう。