仮置き場

趣味嗜好と思考の整理

THE NOTEBOOK

lake

Photo by Emily Corley on Unsplash


ジミンさんおすすめ映画①
 ジミンさん感性を知るために苦手なロマンス映画に挑戦してみようの会。①とは書いているけれど、果たして続くのかもわからない見切り発車。

これはあくまでわたしの感じたことを残しておくレベルの感想なので、ネタバレもあるし映画を知らない人からすると登場人物も謎かもしれない不親切仕様なのはご了承願いたい。

 今回はジミンさんが7回観たし泣いたと話していたアメリカの映画"THE NOTEBOOK"
韓国でのタイトルは同じく"노트북(ノートブック)"、邦題は"きみに読む物語"
個人的にノートブックでいいと思うが、よくある原題変えられるやつ。

 ”すごく感動的で、雰囲気もとても良くて、些細な一つ一つの見える感情が全てとても綺麗だと思う。アミとそういう綺麗な愛をしたい。” -2020 ARMY ZIP

 2月9日にWeverseにて「映画を観ている」と言う旨の内容が投稿された。そこで今回鑑賞した「THE NOTEBOOK」を観ていたらしい。ジミンさんの感想は以前にも数回していたようで、人生の映画としても推薦しているようだ。


 簡単な登場人物の紹介だけしておくと、主人公は地元の製材所で働いている青年ノアと、夏の間だけその街に来た裕福な家庭の子女アリーだ。のちにロンと言う裕福な弁護士の青年も出てくる。

 まず映画のテーマとして感じたのは、「自由とは何か」自分がしたいことは何かという人生においての選択と、「愛とは何か」愛を全て与えることはできないし受けることもできない、という人生の無常さや人間の感情ならではの生の話に思えた。

 「君はどうしたいの」とアリーは出会った頃からノアに問われていたが、月日が流れ再会したあかつきにも「君はどうしたいの」と問われていた。
裕福な家に育つアリーが奔放な性格ながらも両親の求める道を常に歩まされることへ、常に向き合わせるノアは残酷ながらも愛だなと思う。
そして常にその答えはアリーに決断させていたことがとても印象的だった。ノアの気持ちはどうしたいかは話すものの、最終的な判断はアリーがする。 アリーが望めば「道化にも詩人にも何にでもなる」と出会い当初話していたが、これは伏線だったのだろうなと。新しい世界を見せながらも常にアリーが望むものを与え、アリーがしたいようにさせる姿は優しさを超えた愛なんだろうなと感じた。

ただノアと居ることで常に「自由」について向き合わされていたので、ノアは自由の象徴として描かれたのだろうと思う。実際台詞にもあったが、彼らは身分も性格も考え方も対照的だった。

 ロンと出会った頃、ロンはアリーと対等でありアリーの立場を客観的に見た姿として描かれていたのかもしれない。またロンは自分と結婚することで「今まで反抗してきた両親に負けるから結婚ができないんだろう」とアリーに話していたが、彼は自分の立場もアリーの立場も理解し、客観的に物事を把握できる人なのだろう。
それを理解した上で、正直にその迷いに向き合わせ、それでも愛しているから結婚したいと話すロンもとても優しく愛を与えることができる人だったのだろうと思う。 ただ、アリーが決断する前に既に両親に話をつけていたのは割と策士だなと思った。

 アリーが最後の決断をするとき「誰かが必ず悲しむのに、くだらないことなんかない」と話していたが、現実問題そう全てがハッピーエンド、なんてものはなかなかないんだろう。 だからこそ人生で全ての愛を受けることも与えることもできないからこそ、自分がどうしたいか、と言う自分主体の考え方が必要だろうし、その選択をしていくのが人生なんだろう。

 昔アリーと同じような恋をした母親も、おそらくそれを知っていたであろう父親も、姿形は違えどどれも愛であったんだろうと、後になってわかる話だ。
その瞬間瞬間はその時の感情で話すために、両親の感情が全て見えないが、後に直接話してくれることや、映画を通してみると推測できる。 そう思うとこの映画は特にアリーの感情がメインとなってストーリーが進んでいる気がする。そして視聴者側もアリーの感情やアリーが見聞きしたものしかほぼわからないので、周りの人物たちの感情はわからなかった。
アリーが恐れて、踏み出して、楽しんで、悲しんで、怒って、泣いて、アリーの人生がその感情のままに進んでいる。ただその感情はおそらく人が人として生まれたのなら感じることがあるかもしれないものなんだろう。
ラストにこの物語そのものが、アリーが書いた物語だったことが明らかになるが、だからこそアリーの感情を中心に進んでいたのだろう。

 その感情は映画として激動に揺れ動くが、ジミンさんの話す通り些細な感情の表現がとても印象に残る。そしてそれを綺麗だ、と感じるジミンさんはとても人間にむいていると思う。 綺麗だと思わないとむいていないのか、と問われればそう言うわけではないが、感情をもつ人間として生を受けて良かったなと思う。その綺麗だと思う感情たちをジミンさんが知って良かったなと思う。
 また、彼は綺麗なものをいつもアミと共有したがるが、だからこそアミとこういう愛を交わしたいのだろう。
”사랑을 하고 싶어서.”と話していたが、恋愛したいというより愛し合いたいと言う意味合いだとわたしは感じる。また、映画を観ていても「恋」をしているのは10代のアリーとノアで、全編通して「愛」の話だと感じた。
ただこれはわたしが「恋」がわからない人間だからかもしれないし、これもまたわたしが思い描くジミンさんを描いているだけかもしれない。あくまで人は見たいものをみたいように見る、と思っているので一つの解釈だ。

 

冒頭に書いた、「自由とは何か」「愛とは何か」について
 映画を通して一人、もしくは二人の半生を観たが問いはあれど解はないように思う。 ただ結局自由も愛も人によって形は違うものだからこそ、明確な解はないんだろうとも思う。アリーとノアにとってはお互いが自由だったし、お互いが愛だったのだと思うので、それをつかむことが幸せなのであればとても幸せに生を全うしたんだろう。
完全なるハッピーエンドは人生に置いてないと個人的には思っているが、そもそもハッピーエンドはメリバもある意味ハッピーエンドと言えるぐらいだから、主観的なものだろうしそれを改めて考えさせる映画だったと思う。

 

 映像としては1940年代を描いたと言うように、今となってはレトロに感じる衣装や車、人々の姿だったがとてもオシャレで可愛くて少しローマの休日を思い出した。 裕福な家庭育ちのお嬢様であるアリーの衣装やメイクが特にそのキュートさを思い出させたが、ローマの休日は1950年代の映画らしいのでもしかしたら近かったのかもしれない。
 ところでお嬢様はあのようなお転婆というか奔放なタイプで描かれることが多いのだろうか。お嬢様の恋物語を多くみたわけではないので、全くの推測になるが、規律や御家柄の自由とは逆の環境で育ったからこそ、性格はそれを対比する様なものなのか。
それとも人は、そういった家庭で生まれ育った子は皆自由を求めるだろう、と言う妄想ゆえなのか。そもそも自由ではない、と仮定していることや、その自由さは「愛」で解かれることが定石なのだろうか。謎ができてしまった。

 俳優さんの演技についてはとても素晴らしかったと思う。 燃え上がるような恋をしている姿は、その衝動と感情がとても伝わる激しさを持っていた。そして穏やかでも心の奥には昔と変わらず熱い愛を持っている現在の姿では、その愛と現実の人生の無常さをとても繊細に演じられているように思えた。認知症のアリーが苦しんでいると共に、ノアの変わらない耐える強さと愛はとても胸打つものがあった。

 ジミンさんの感性を知るために観た映画の一つだったが観て良かった。ロマンスを通しての人生映画に感じたので、ロマンス映画が苦手なわたしからすると一本目がこれで良かったかもしれない。また、ジミンさんの繊細な感性はこうやってあたためられるんだろうか、と思ったので、わたしにはこれはあたたかい映画だったらしい。
 またわたしの中でロマンチストの印象が少し変わったように思う。ジミンさんはサプライズ大好きなロマンチストだと思っているが、この映画では大きなサプライズだけが描かれたわけではないような気がする。日々の日常からお互いを思い合う姿や、些細なものからロマンチックに感じるものなのかもしれない。

 現実で果たしてこのようなことが起こるのかといえば、映画のような激動な人生を歩む人は少ないかもしれない。ただ映画は起承転結を描くために、状態が大きく変化する場面の詰め合わせが多いと思っている。そのため人生の長さで考えると、このように大きく感情の触れることは案外あるのかもしれないとも思う。
人生がアリーとノアのように綺麗に終わることがあるのかはわからない。ただハッピーエンドかどうかは、二人のように自分が思えばそうなるのではと思う。


原題:THE NOTEBOOK