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憧れと共に生きる

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憧憬と尊敬

 憧れの人、と聞いて浮かぶ人は誰なのか。そもそも"憧れ"とは。

 理想とし強く心惹かれること、憧憬、思い焦がれること。と辞書を引けば出てくるが、わたしには"尊敬"という言葉の方がすぐにその感情に当てはまる人物が浮かぶ気がする。

 個人的には憧れと尊敬は、理想とする、つまり自分がその人のようにありたいと願うか、第三者としてリスペクトする、つまり到底その人にはなれそうにないけれど自己の価値観に当てはめて敬うか、の違いがあると思っている。

 わたしの憧れとはなんなんだ。

 尊敬の念は持ったことはあれど、果たして憧れてまでいるのか。その人のようになりたいと思っているのか、少し難しいことだった。

 

 職場で「憧れの人を3人挙げて」と言われた時に、わたしは誰かに憧れたことがあるのか?と尊敬とはまた違うよな?と、戸惑ったのが悩みの始まりだった。

 

 ではそもそもなぜわたしは尊敬の念は持てど、憧憬の念は持たなかったのか、持っていたとしても意識をしなかったのかを考えた時に、わたしの中ではどうやら"推し"に対する感情にそれも少し入っているようだ。

 よくわたしは推しになる人物がいると、その人になりたくなる。髪型もプロポーションも、仕草や行動までも「この人になりたい」という感情が一部に存在する。

 だからそのままできることを真似をする。

 それは推しでなくても、どうやら学生時代からその傾向があったなと思う。

 その子の字の書き方から考え方、服装や好みまで、それがかわいいと思い、素敵だと思い、かっこいいと思うために真似をしていた。

 自分との共通点を見つけ、少しでもその子に近づくために。それがおそらくわたしの中の"憧れ"の表現だったように思う。

 実際、字を真似していたときは別の友人に「字が似てるからどっちかわからん」と言われたことがあり、嬉しかったことを覚えている。

 こうやって事実を書き連ねていると、少し気持ち悪いな自分、と思わなくもないが、その憧れの対象となった友人2人とは今も付き合いがある。また友人もわたしに、わたしも友人に、お互いに尊敬しているところがあると理解しているので良い関係であるのが幸いだ。

 

 こうやってみるとわたしには”憧れ”の対象は存在していた。

 ではなぜそれが年齢を重ねるにつれ薄れていっているのか。おそらく理由はいろいろあるが、対象となる人物が身近に存在しなくなった。自分の限界やその人にはなれないことを知った。推しへの感情に混ざるものとしては、その人を汚したくない世界を崩したくないという感情。

 だからこそ"尊敬"という感情はわたしの中ではとても便利だった。

 自分が干渉しない、けれどもその人を思い、敬い、別世界の人間としてどこか一つの壁ごしにみることが出来る。だからこそ尊敬はすれど憧憬となると困るのだ。自分がその人に近づくということに。近づけば近づくほどさらに自分の感情が乱されるようで、怖くて不安で、コントロールができなくなることに。

 

 しかしそれはただの想像や妄想にすぎない、かもしれないことを知った。

 近づいているようで、他者のままであり、現実で交差することがない限り到底そんなことは妄想でしかなかった。

 だったらとことん、憧れ、敬い、模倣し、自己の成長のために使おうではないか。

 そこまで考えることができたのはおそらく今の職場環境も大きく影響している。また、わたしが尊敬する1人でもある当時20歳だったキムナムジュンは「人生の人質になったのなら、野望を選択しなきゃ*1 」と話す。

 4年後、24歳であるナムジュンも「僕はまだ人生の人質だ*2」と歌う。

 わたしは「人生の人質」という、残酷で現実的で、的を射ている言葉がとても好みだ。好き、というよりも一番しっくりきた。だから心根にはその言葉を持っている。

 死ぬために生きているわけではないが、どうせ生きていくのであれば人間らしく生きたい。人間らしいとは何か、人たる人とは。

 それが何かも、まずわたし自身のこともわかってはいない。

 ただ束縛されていると思うのなら、生かされていると感じるのならば、せめて自分が人間だと思う人間になればいいのではないか。自分を肯定するために自分を認めるための手段として、憧れとする人に近づこうとする。

 そういったことでいいのではないか。

 

 

自問自答

 目標とする人とはどんな人か。
 余裕を持ち穏やかで安定した人間でありたい。

 穏やかで安定したとは?
 自分の考えを持ちながらも感情論で考えず、多面的に俯瞰的に物事の本質を捉え、人としてあれる人。

 なぜそう思うのか。
 落ち着いて対処できることで感情に揺さぶられないため、自分にも周りにも穏やかである。自分の考えを持つことで芯があるため安定して何事も行動できる。ブレがない。頑固とは違う。

 どうしたら近づくのか。
 実際にそうだと思う人は何をして何を考えどう行動しているのか。
 つまりそこが理想とし、そうありたいと思う"憧れ"ではないのか。

 

 

憧れとする人

 尊敬するものを持つ人は、直接関わりのある人、ない人限らずだとありがたいことに3人以上はいる。
 ただわたしが知るその人の全てを思い浮かべた時に、そうありたいかと考えるとどうなのだろうとも思う。
 他人になることはできないが、その人の一部を自分に取り入れていくという意味で、現在わたしが憧れとする人物を3人と理由を挙げておく。

 

・ミン ユンギ(BTS/SUGA)
冷静に物事を捉える
俯瞰的で達観した考え、物事の見方
先見性がある
口下手だけど深い愛情を持っている
何事においても全て平等に扱う
慈善事業に積極的で世界平和を望む
博識
夢を常にもつ超現実主義者
首尾一貫としている
運だとしても有言実行
それとして在るものを受け入れ、ないものはないとする考え方

 

・キム ナムジュン(BTS/RM)
両価的な物事の見方
読書家
頭の回転が速い
本質を捉えるのが早く上手い
常に自己について考え世界について考える
勤勉家
語彙力、表現力が豊富でユーモアのある発信力
一貫性があり誠実な物言い
視野が広い
時代と世界の流れに目を向け自分の立ち位置を常に考えている
人間らしい
知識が豊富でそれをうまく活用する多面的な考え方
共に考え、相手にも考えさせる力

 

・パク ジミン(BTS/JIMIN)
わたしが知る人の中で一番の努力家
愛情深い
大切な人に優しく自分に厳しい
感情表現、表情が豊か
よく人を見ている
素直
愛嬌がある
図々しい
柔和(になった)
何事も妥協をせず突き詰める力
表現力
愛し、愛される力
洗練されたプロポーション
慈悲深い

 

 正直BTSのメンバーにはそれぞれ尊敬し、憧れているところがある。

 そのため他のメンバーにも羨ましく思うこともあるが、現在のわたしが一番必要としている要素を持つ3人を挙げた。

 おそらくわたしはユンギさんにはインプットの方法を、ナムさんにはアウトプットの方法を、ジミンさんには人間性としての憧れを抱いているのではないかと思う。

 

 この対象は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
だけれどわたしが欲しいと思うものをたくさん持っている事実は変わらないだろう。

 ただ、今年も柔らかに抱きながら生き延びよう。

 

 

 

 

 

*1:2014年8月29日 방탄소년단 公式Twitter

*2:2018年10月23日 Mixtape「mono.」forever rain より

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